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――ファンタズマゴリア――     走馬灯のように 次々と移ろいゆく 幻想の中で
プロフィール
管理人:波華
観劇好き。主に狂言、歌舞伎、日本舞踊、大衆演劇、落語などをよく観ます。大蔵流茂山千五郎家、尾上菊之助さん、中村勘九郎さん、尾上菊之丞さん、橘菊太郎劇団、劇団花吹雪、などがお気に入り。
現代演劇で最大のお気に入りは花組芝居。その他、大中小気になった劇団を観に行きます。
日本舞踊のお稽古をしています。
たまに着物や歌やゲーム(DQ,FF)の話題も。
連絡先 e_yassie@yahoo.co.jp
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FINAL FANTASY VII ADVENT CHILDREN
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Colours of Light -Yasunori Mitsuda Vocal Collection-
光田康典
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評価
2006年10月16日(月) 18:05:05
例えば野田歌舞伎が歌舞伎なのか、とか、三谷歌舞伎が歌舞伎なのか、とか、そんな議論は無駄なことだと思います。新しい歌舞伎の作品を歌舞伎と思えない人は、歌舞伎を過去の遺産と思っているのか、古典的演出が好きなのか。
エンタテインメント性を追求すれば芸術性を追求しにくくなるし、それこそ芸能の多様性であって、目指す方向が異なれば同一の評価基準を適用できないのは当然のことです。

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主に技術面がコンクールで評価されるのだから、結果は正当だと思います。楽曲を自分たちなりに深く理解し、演奏旅行を経て大きなバックボーンを得て、誰にも負けない熱い演奏をする自信はありましたが、技術面で足りない部分が多かったからです。
ちゃんと知っておくべきではないでしょうか。
今のコンクールの体質で、私たちの目指す音楽スタイルは不利なのだと。
それでも、あくまでこのスタイルを貫き通し、問題提起し続けるという「覚悟」が団員全員の中に無いと、あえて挑み続ける意味合いが薄れるような気がします。
覚悟も無く挑むのは、事情が分からないメンバーにとっては非常に酷なことだと、ふと思ったのです。みんなたいへんな思いをして頑張っているのに、なんだか申し訳ないように思うんです。本当にやるなら覚悟を共有できていないと、乗り越えられないと思います。

きっかの演奏を聴いて、ああいう発声技術、歌唱力は欲しいです。純粋に羨ましいです。それでも、私たちの目指す音楽とは違うと強く感じました。違和感を感じました。えばに3年在籍し、えばの目指す音楽に浸りつづけた結果、こう思うようになったのだと思います。例えばもし、ずっとくらいねすに居続けたとしたら、きっかの演奏は素直に上手いと思っただろうと思います。それほどきっかとえばの目指す音楽は違うと思うし、くらいねすとえばの目指す音楽も違うものなのだと思うのです。

コンクールに勝つための練習?
ただ「勝つ」ためだけではなく、上手くなるために必要な練習。これは必要です。
今の音楽スタイルに技術が足りないのはすでにわかっていることだから、今のスタンスのまま、技術力をつけて行きたいのです。
私たちは、発声面がまだ未熟、音程が悪い、耳が肥えていない、こだわりが足りない。
足りないのが分かっているのに、それらを改善できなかった自分の無力さ。
それ以外に、何が足りていないのか分からない甘さ。判断力のなさ。
指導力不足。信頼されている気がしないのは、私が自分に自信を持てていない証拠です。
何もかも足りなくて、情けない。
自信をつけるために、私はうまくなりたい。

学校訪問や施設訪問を経験して、心から楽しんでもらえて、それが活動方針の1つなら、コンクールの評価にこだわる必要がどこにあるんだろう?と思うのです。
1位をもらって全国に行けなければ、2位も10位もビリも同じと言われている気がします。本当にそうなのでしょうか?
客観的な評価は必要です。それだけでもコンクールに出る意義はあります。
でも、1-3位の中で争える団になりたいと本気で思うなら、甘えを捨てて、地道で辛い練習をねちねちと続けなければいけないんです。それだけの踏ん張りが私たちに出来るかというと、残念ながらそこまでの我慢強さは無いと思います。何より私自身が耐えられそうにありません。一人一人が、本当にコンクールに勝ちたいと思っていなければ、耐えられないでしょう。

これって逃げですか?私は訪問演奏や演奏会や演奏旅行の練習のほうが楽しいです。地道で辛い練習は嫌です。まだそれほど辛い練習をやったことが無いのに、もうすでにトラウマ気味。ああ未熟者。
いやあ、正直ホント、辛かったです。演奏旅行の中盤からコンクールが終わるまで。具体的に何をすべきなのかわかっていない自分。何かが足りないような気がするけど、何が足りないのかが分からない。総合的に、どう盛り上げていくべきかが見えない。ものすごい無力感。それ以前に下手くそな私の歌。なんだこれ。
多少荒削りでも、簡単に言えばハートのある演奏は、聞く人の心に訴えかけることはできるけれど、これでコンクール出てホントにいいのか?と。
終わったからやっと言葉にできたけど、なんだかもやもやとした不安を抱えてたんだなぁ。
だからこそ、スカッと気分転換したくて、次の日に大阪遠征に行ったのさ。





去年のコンクール後のメモ書き。
今回は今までで一番、心に余裕を持って、何を伝えたいかを心にしっかり描いて歌うことができたと思う。
負け惜しみかもしれないけれど、自分の中で何か得たものがあれば、それを大事にしたい。

去年のコンクールが終わったあとも、私はすぐに次を見据えていて、その次は一年後のコンクールではなく2ヵ月後のグアテマラだった。今回も同じ。次回は一年後のコンクールではなく、教会コンサート。
学生時代に培った精神「練習が命」。
コンクールや演奏会などの特別なイベントのために歌うことをより大事にするのではなくて、練習のための練習であっても精一杯取り組むこと。

曲と狭く深く付き合うやり方を学べたと思う。学生時代以上に。
コンクール曲じゃなくても、これくらい曲について知ってから歌うことができればきっと楽しいはず。
先生のお力添えやいろんな資料を提供してくれたみんなのおかげで曲の背景を知ることができたら、一気に世界が広がったような気がした。
単調に思えたルネサンスの曲も、歌い方を掴んだ今ではとても面白く歌うことができるようになったんだから、これはすごい収穫だと思う。
この気持ちは教会コンサートにも生かしたい。

最高責任者だからといって結果に責任を感じるという言葉を私は黙って聞き流すことはできません。長の言葉は組織のあり方としては相応しいものなのかもしれませんが(実際のところはよく分からん。組織運営に詳しく無いから)、メンバーのたった一人でもこの言葉に甘んじてしまったらおしまいじゃないかっていう気がします。
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